あ、そーゆーことねっ!物事の本質を見極めるための俯瞰的視点と相互理解について。
情報が極めて錯綜(さくそう:物事が複雑に入り組んでいること)する今日この頃、左右どちらかに耳を傾ければ対極側からの圧力がハンパないっ!
それぞれの正しさを証明するために対立することは別に構わないのですが、自分の主義主張を周りの人間にまで賛同を求めようとする輩はたちが悪い。聞こえないフリをこいていれば左右から両腕を引っ張られ、場合によっては真っ二つに裂かれてしまう。
そんな時代だからこそ【本質を見極め】正々堂々と真正面を向いて歩きたい。
でもなかなかこれが難しい・・
「自分の考えを持って信念を貫け」だとか「情報に流されずもっと世の中を知れ」だとか、本質を知っているからそー言えるのであって、そもそもどうすればそのようになれるのかを教えてほしいんだけど・・
ここでは、「あ、そーゆーことねっ!」と納得してしまう超簡単な物事の本質を見極める方法を《相互理解と俯瞰的視点》の二つのキーワードを用いて解説してみようと思う。
3分後、きっと本質なんて思っていたよりもずっとシンプルで、互いの主張に耳を貸さず対立しているような左右の人達が滑稽(こっけい)に思えるようになり、自分の考えがフツフツと湧いてくるのを感じるはずです。
相互理解と俯瞰的視点で浮かび上がる物事の本質
人間には視覚・聴覚・嗅覚・ 触覚・味覚といった五感と呼ばれる感覚が備わっていますが、その割合の83%が視覚情報によるものだと言われています。
自分の目に見えてるものが絶対的に正しいと思い込んでしまうのは、、人間の性なんですね。
万人に共通する普遍的な真実なんてものは存在しないのに、「丸だ!」「いや、三角だ!」「何いってんの四角でしょ!」といった、おのおのの盲目的な認識が四方八方に飛び交い、物事の本質からかけ離れてしまっているのが今の世の中の状況だと言えます。
反する主張で対立している両者はなにも嘘を言っている訳ではなかったようです。同じものを見ているのに角度が違うだけで不毛な論議を交わしてしまっている訳ですが、はたからみればそれはとても滑稽な光景です。
相互理解は、当事者同士が互いに理解しようと歩み寄るところから始まります。もし「丸だ!」と主張する輩と「三角だ!」と主張する輩が互いに理解しようと努めたのなら、フワッとその実態が浮かびあがり本質に近づくことができたはずです。
ここでの本質は【角度の違うところから円錐を見ている2人が議論を交わしている】ただそれだけのこと。
誰それがどー言おうが、その状況を眺めている俯瞰的視点を持ったあなたにしかその本質を見極めることなんてできないんです。
完全に信じつつ、同時に疑いをもつことは、決して矛盾ではない。それは真実に対するおおいなる敬意を前提としている。真実は常に、そのとき言葉や行動になりうるものの先を行くのだ、と認識している。:ロロ・メイ
距離・時間軸の違う2つの視点
地上にいる人は「丸だなっ!」といっているのに、6階建てビルの屋上から見ている人が「三角だよーっ!」と言っていている状況を想像してみよう!
三角形に配置された無数の丸があるとすれば、【一部しか見なければ丸であり全体を見れば三角にも見ることが出来る】訳ですし、また
今現在の状況しか見ずに丸だと言い張っていても、5分前から見ている人に【三角形が高速に回転して丸に見えているだけだから触ると危ないよっ!】と注意を受けるかもしれません。
他視点を持つ者同士が相互理解を深めることで本質に近づいていけることがわかりましたが、もし《今しか見ていない君》と《5分前から見てる君》とさらにもう一人がいて「てゆーか、それずっと四角だし!」と言っていたら?
まずは「君はいつから見てるの?どこから見るとそうなるの?」とその主張に理解を示してみよう、すると彼は《5分前から&90℃横から見てる君》だということが分かりました。
このような状況を俯瞰的視点で捉えると、あなたにはどのような本質が見えてきますか?(※ここで本質を捉える練習をしてみてください。最後に私と答え合わせしましょう。)
矛盾や曖昧さをも楽しめる開かれた心で、黒か白かを決めつけない中庸の生き方をしていけばいいのです。:ペマ・チョドロン
本質を見極めると見えてくる不都合な実態
普段から相手を理解しようと試みていると、だんだんと物事の本質が見極められるようになっていきますが、それは同時に不都合な実態も目にすることになります。
文頭で《それぞれの正しさを証明するために対立することは別に構わない》と記載しましたが、これは実は今の世の中においてとても大切なこと。
対立より恐いのはみんなが民主主義特有の一視点しか持たず、個々の主義主張が無くなり、満場一致で「丸だ!」という真実を崇めてしまうこと。
それはやがてより大きな激突を招く危険性があり、一線を越えてしまえばもう取り返しがつきません。
あらゆる情報(テレビ・雑誌・インターネット・本・場合によっては音楽や絵画などの芸術も含む)には大きく分けて以下の3種類の意図があります。
- ① 想いを伝えようとするもの
- ② 利益を得ようとするもの
- ③ 思惑どおりに誘因しようとするもの
普段無意識に見ているテレビの番組ほとんどは②と③であることに多くの人が気づき始めています。テレビはその性質上、視聴者に想いを伝えるものではなくスポンサーに利益をもたらすための媒体です。
円錐だという実態は分かっていても、スポンサーに不都合な三角の部分は見せず丸の部分しか報道しません(嘘ではないので余計にたちが悪い)。
いつしか私たちは丸こそ真実だと錯覚し、毎日何時間も10年20年と続いたその結果はあまり想像したくありませんね・・
独断主義と懐疑主義は、どちらも本質として、絶対論だ。片方は「自分はわかっている」と確信し、他方は「わかりえない」と確信している。だが、知であれ無知であれ、確信こそ、哲学が退けなければならないものだ。:パートランド・ラッセル
堂々と真正面を向いて歩みはじめようっ!
物事の本質を見極めるためにはできるだけ②と③を避けるようにして、より多くの【① 想いを伝えようとするもの】に触れる(良本を見つける速読方法)必要があるし、自分の主張と違う人とも積極的に意見を交わす必要があるんですね。
今回、私の至らない主張でも「あ、そーゆーことねっ!」と納得できてしまうほどの理解力があるあなたは、すでに本質を見極める力が身に付いていることの証拠です。
※ 答え合わせ ↓ もし私と違う答えだったら是非あなたの主張をシェアしてください!