自分の限界は知るべきか?それとも突破していくべきか?
よく、「限界は自分で決めつけずできると信じて続けることが大切だ。」だと言われることがあります。その一方で、「限界を知ることのほうが重要だ!」ということもよく聞きます。
一見すると矛盾しているので、どちらが正しいのか?もしくは、どっちも間違っているのか?迷ってしまうことがあるかもしれません。
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しかし、それぞれの「限界」という言葉の定義が違うだけで、どちらも正しいことを言っているという解釈をすることができ、結局はどっちも大事なんだということに気がつくことがあります。
限界という言葉の定義の違い
「自分の限界は知るべきだっ!」といった言葉を使うときの限界は、多くの場合”水平的な範囲の限界“を指している言葉で、それに対して、「自分で限界を決めつけるなっ!」という言葉を使うときは、”垂直的な深さの限界“を指していることが多い言葉だと感じます。
水平的な範囲の限界
垂直的な深さの限界
「私は器用だから何でもできる」と思っていると、あちこち手を付けてみるけどこれといった手ごたえがなく、次から次へと違うものを探そうとしてしまいますが・・
自分には何ができて、何ができないのか、本当にやりたいことは何なのか?を知ることで1つのこと(重要なこと)に集中することができます。
しかし、自分が「これだっ!」というものを見つけることができ、それを続けていたとしても、突然うまくいかなくなったり、「誰にも負けない!」と思っていたのに自分より優れた人に出会ってしまったりして、必ずと言っていいほど限界点が見えてきます。
このときに、試されるわけですね、「ここがオレの限界か・・」と。。
そこで、自分の限界を決めつけず突破し続けている人がきっと何かを成し遂げている人なんだと思います。
まれにマルチな才能を持っている人がいますが、それは「何でもできる人」ではなく、自分のできることをしっかりと掘り下げるスキルを身に付けていて、違う分野に行ったとしても、そこでまた自分のできることを把握したうえで、掘り下げていくことができる人なんだと思います。
深く穴を掘れ、穴の直径は自然と広がる:矢頭宣男
他の誰かになろうとするのではなく、まずは”1つ自分のできることを見極めて、限界が見えてくるまで掘り下げてみる“ということが大切なのかもしれません。その先に驚くようなことが待っているのかも?
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