「メロンの話」から学ぶアフィリエイトの考え方
これは私が高校3年生の時の話です。
彼の名前は柳田(仮)くん。理由はよく分からないのですが、
まだ高校生なのにロフト付の1Kアパートで
独り暮らしをしている友人がいました。
もちろん家賃は親が払っていたと思うのですが、
なにかしらそうしなければならない事情があったのかもしれません。
当時の私はそんな事情なんて知るよしもなく、
18歳という青々しい年頃ということもあり、
親や大人の目から離れた場所で、
ギターを弾いたり、
○○なことや○○なこと(自主規制)など、
好き放題できるその空間がたまらなく好きで
しょっちゅう遊びにいっていました。
そんなとある土曜日の昼間、
「柳田くんて一人暮らししてるんでしょ、これ持って行ってあげな」と言いながら、台所でメロンを半分に切ろうとしている母親がいました。
(メロンて、、しかも半分て・・)
「・・いいよ、面倒だし、、」と返答すると、
すかさず「持って行ってあげなよ、うちだって食べきれないんだし」
と切り返してくる母親。。
(そーゆーこっちゃねんだよなー、1個丸ごとならまだしも半分となると、なんてゆーか・・ひと様の家で出されるコップ1杯の牛乳のような、、口へ運ぶことへの抵抗感っていうか嫌悪感?みたいないわゆるソレ・・)
どうしたらこの青々しい年頃の
《それは有り》《これは無し》
みたいなのを伝えることができるのか・・?
そんなことを考えている間もなく
「ほら、休日だからどーせ家にいるでしょ」と、手渡される半分のメロン。
(あ~マジかよこれ~、よりによってスーパーのビニール袋って、メロンってゆーか、これただの”汁だくのビニール“じゃん・・)
異様に重く感じるそのビニール袋をハンドルにぶら下げ、
柳田くんのアパートへ向かうも途中何度もペダルをこぐ足をとめるも、
距離にしてわずか800メートル、5分もすればアパートは見えてきます。
柳田くんがどっかに出かけてて留守であること(この頃は携帯も無いのでアポ無しが基本)、もしくは奇跡的に柳田くんがめちゃくちゃメロン好きであること、
そんなかすかな期待を胸に勇気を振り絞ってピンポンを押すと、
ドアはすぐに開き。。
「あ、これオカンがメロンもってけって・・」と
差し出す私の手元に視線を落とした柳田くんは、
「あ、ソレいらない」
と予想を超える反応でバッサリっ!
「あぁ、そーだよね、じゃーまたくるわ」その間ものの20秒、
ビニール袋の中に詰め込まれたオカンの善意は、もはや自転車に乗って持って帰ることができないほどの重みとなって、帰り道で立ちすくしてしまった私は、なにを思ったか、そのビニール袋を・・
「ド~ンっ、、」
と、畑の横を流れるドブに放り投げ、その場から全力で逃走。
(不法投棄ですが時効ということで・・)
頭の中をグルングルンまわる「あ、ソレいらない」という言葉と、
ゾンゾンと湧き上がってくる罪悪感たるや、
なんとかそれらをかき消すために・・
(これで良かった、持って帰らないことが1番の方法だ、オカンには喜んでたよっていっときゃ誰も傷つかないし、そもそも無理やり持たせるオカンが悪い、柳田だってソレいらないは無いわー、オレだったら一応は受け取って、いらなきゃうまいこと処分するし、、オレは何も悪くない、悪くない・・)
そー自分自身に言い聞かせながら動揺を抑え、
手ぶらで玄関のドアを開けると、
開口一番「どうだった?」と何の気になしに聞いてくる母親。
平静を装い「あ、ぁ~喜んでたよ」と・・
頭の中で何度もリハーサルしてきた言葉どおりに答えると、
なにを勝ち誇っているのだろう?
「ほらねっ!」
(ほらねぇ??)
なんとも言えないこのイラ立ちをどうしたらよいものか・・
もどかしさ?脱力感?
そんな、やり場のない気持ちがフワフワと浮遊したまま、
“自分ひとりが罪悪感を背負って生きていけば誰ひとり傷つかない”
という選択をしたはずの私は・・
その後3日間、メロンの行方に苛まれることになるのですが・・
半分のメロンから学ぶアフィリエトの本質とは?
18年の歳月を超えて今、青々しい記憶の中に登場してきたこの3人の関係性と当時の自分が果たすべき役割を、違う視点からとらえることができます。
・母親 = 誰かのためになると思い商品を提供しようとする事業者
・柳田くん = 商品を手にするかしないか自由に選択することができる消費者
・私 = 消費者の心理を理解し商品の良さを伝える役割がある紹介者
アフィリエイター(アフィリエイトをする人)という言葉は、間違った認識をしている人も多いのですが、簡単に言うと《事業者と消費者の橋渡しをする役割をもった人》のことです。
当時、汁だくのビニール袋に嫌悪感を抱く同世代の心理を理解していた私は、メロンを切ってしまう前に「あ、そのまま持っていく、余ったら持って帰ってくるから」といった提案を母親にすることができたかもしれません。
さらには、柳田くんに「明日部活サボってここに女子呼んで、メロンフルーツポンチパーティーやろうぜ!」と、メロンを手にすることで得られる最高のベネフィット《ユーザーメリット》を伝えるべきだったかもしれません。
もしくは、メロンを届けようとする相手《ターゲット》は、柳田くんではなく、いかにもメロンが”大好きそうな顔”をしている高岸(仮)くんや桜木(仮)くんなどの選択肢もあったかもしれません。
当時は携帯すら無かったので、前もって柳田くんや他の友達に「メロン好き?」と、確認することはできませんでしたが、幸いなことに現在はインターネットを使えば友達以外のニーズも簡単にリサーチすることができます。
なのでわざわざ自分ですら”嫌悪感をいだくような商品”を、”欲っしてもいない人”に無理やり届けようとしなくてもいいのです。
そして、もっと重要なことは・・・
柳田くんに”受け取ってもらうことに期待”し、「なんで自分の気持ちを誰も汲み取ってくれないんだ」といったエゴを抱え、やり場のない気持ちに苛まれてしまうことに、これっぽちも意味がないということです。
しかし、実は青々しかった頃の私と同じように、「なんで誰も買ってくれないんだ」といった、自分のエゴを抱えながらアフィリエイトに取り組んでいる人も少なくありません。
アフィリエイターの役割は、
提供者の意図を汲み取り最適な形で届ける方法を考え、
消費者の深いところにある心理を察しながら、
最適な活用法を分かりやすく提示することに務めること、
です。
ようするに”自分のエゴを消して橋渡しをする役割に徹する“ことですね。
そんなことをしたら、自分の存在がなくなってしまうと感じてしまうかもしれませんが、自分のエゴを消すことができればできるほど、現在多くのアフィリエイターが属している、「自分から買ってもらいたい君」というカテゴリからスっと抜け出すことができ・・
独自の視点が際立ち、個性的な表現ができる紹介者になることができます。
そして、アフィリエイトに取り組むことで得られる最高のベネフィット《自分自身のメリット》は、その報酬額に比例するかのように自分のエゴが矯正されていき、他者への理解を深めることができるようになっていくことです。
(※本質的に自分さえ良ければなんでもありの人は報酬額に比例してエゴが強くなるので注意)
もしあなたも、これからアフィリエイトに挑戦したいと思っていたとしたら、ぜひ関係性の中で自分の役割を意識しながら、”メロンを上手に届ける方法“を考えてみてください。