作業と創造の違いってどういうこと?あぁ、なるほどそうゆうことか・・
どうやら、決められたものを作ることを”作業“、新しいものを創り出すこと”創造“と言うらしいですが・・
そういえば私が21才の頃、自動販売機を製造する工場で”ライン作業”をやっていたことがあります。
一定の速度で流れるラインの脇にスタンばって、決められた時間内に、決められた場所にビス(ネジ)を打ち込みながらどんどん組み立てていくので、一ヶ所でも間違ってしまうと、ラインが止まって他の全員に迷惑をかけてしまいます。
はじめのうちは、組み立てる順番を頭で考えながらやっているんで、スピードに追いついていかなくなってしまうのですが、だんだん慣れてくると、無意識で手が動くようになって考える必要がなくなっていくんです。
ようするに、普段やらなくてはいけないルーティーンワークに関しては、
あれこれ頭で考えながらやるより 、いかに”意識していることを無意識化“して勝手に手や体が動くように訓練していくことで、効率の良い作業ができるようになるのだと思います。
それとは、逆に・・
決められた作業ではなく、デザインをするときとか、ブログを書くとき、何か新しいものを生み出していくときには、普段自分が”無意識にやっていることを意識化“する必要があります。
例えば《ゲルニカ》というピカソの名画があり、一見すると理解のしがたい構図や表現のように感じる人もいるかもしれません。
しかし、ピカソ自身が【スペインの苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表現する】という言葉を残し、今では20世紀を代表する反戦や抵抗のシンボルとされています。
「牡牛は牡牛だ。馬は馬だ。・・・もし私の絵の中の物に何か意味をもたせようとするなら、それは時として正しいかもしれないが、意味を持たせようとするのは私のアイディアではない。君らが思う考えや結論は私も考えつくことだが、本能的に、そして無意識に、私は絵のために絵を描くのであり、物があるがままに物を描くのだ。」:有名な絵画・画家
自分の感情が振れたときや、ふと頭に考えが浮かんだときに、なんとなくスルーしてしまうのではなく、それは何んなのか?なぜ今そのように感じているのか?を意識して、言葉にしてみることが大事なんだと思う。
たぶんそれって、自分以外の人も同じように感じていたりして、世の中に必要とされていることなのかもしれないので・・
作業とは意識を無意識化すること、創造とは無意識を意識化すること