「ネーミング」を考える前に理解しておきたいその重要性について

3分の話

ビジネスを行う上で大切なものに「ネーミング」があります。そのネーミング次第で、ヒット商品になるか?ブランディングが確立できるか?ビジネスそのものが成功するか?が掛かっているといっても良いかもしれません。

つまり、「ネーミング」は”とても重要な要素“を占めるということですね。

また「商品」や「ビジネス」に限らず、「ブログ」や「企画」、「WEBコンテンツ」、「講座」や「会社名」など、あらゆるところで関わってくるのがネーミングですね。

どうしてネーミングって重要なの?

私自身も、これまでブログや企画などのネーミングを作ってきましたが、やっぱりそれぞれに思い入れがあります。そして・・

自分が関わるビジネス、自分が作った企画やコンテンツ、もしくは自分自身を定義する「ネーミング」を考えることによって【自分自身の未来の扉を開くことになる】ということも実感しています。

もし仮に、”適当な名前”を付けていたとしたら・・きっと”適当な今“しかないと思います。

たかがネーミング、されどネーミング。ネーミングは文字通り「名づけ」であって、私は「名前を付けることによってはじめて”ソレ“が、この世界に誕生し、成長し始めていくのではないか?」という仮説を立ててます。

名前が無ければこの世界に生きることはできない?

「ネーミングの重要性」をあなたと共有するためには、はじめにセンシティブな実験について触れる必要があると感じています。それは、約800年前に行われた【フリードリヒ2世の赤子の実験】についてです。

「人間は言葉を教わらないで育つと、どんな言葉を話すようになるのか?」

という疑問を持ったフリードリヒ2世は、50人の赤子に対して、ミルクをあげたり、排せつの処理をしたり、生命維持に必要な世話をすることだけを許可し、その代わり・・

「世話の際に赤ちゃんと目を合わせたり、話しかけたり、触れ合ったりしてはいけない」という実験をしました。今の時代で言う「ネグレクト」です。

その結果、とても悲しいことに50人の赤ちゃんが死んでしまいました。

この残虐な実験結果から分かったことは・・

赤ちゃんが育つためには身体的に必要をされる「栄養」だけではなく、愛情やスキンシップがなければ生きることができない。親と子(その他、良好な対人関係)によるスキンシップによって分泌される、オキシトシンなどの成長ホルモンが大切である。ということです。

確かに生物学的に考えれば、成長に必要なホルモンの分泌が無ければ生きることができない。と考えるのは当然ですが、私はそれ以外に「名前」が必要なんだ。と考えてますし、、

その名前を”呼ばれる“ということが、人間が生きるうえで。成長していくうえで。とても大切なことだと感じています。

というのも、人間は「名前を呼ばれる」。つまり【他者から自分に意識を向けられる】という体験を重ねることで、自己を確立していくことができる。と考えているからです。

自己を確立するためには、他者の存在が必要不可欠である?

「我思う、故に我在り」という言葉で有名なのはデカルトですが・・

「自分は存在しないのではないか?」と疑ってみたときに、その”考え”が存在する。だとすれば”考えている主体”があるはずで、それが自分である。つまり「自分はなぜここにあるのか?」と考える事自体が自分が存在することの証明であると説いています。

少し乱暴に言ってしまえば、「自分の存在は自分で確認することができる」ということですね。

それに対して、ヘーゲルは「自分の存在を確認するためには、他者の存在が必要不可欠である」と説いています。つまり、他者が私の存在を意識することによって、はじめて私がこの世界に位置づけられるということ。。

ん?たしかに、自分の存在を確認するためには「自分の考えがある=自分は存在している」というデカルトの考え方は腑に落ちやすい。

でも、ヘーゲルの言う、自分の存在を確認するためには【他者の存在が必要不可欠】というのはどういうことだろう?

大人である私たちは、「私は私である」という自己意識をもっています。うん、私が私であることは当たり前ですよね。でも実は、生まれた(母親の体から物理的に離れた)ばかりの赤ん坊は、まだこの自己意識は”持っていない“と言われています。

大人は鏡を見て、鏡の中に映る姿を自分だと当たり前のように認識しますが、赤ちゃんはどうでしょうか?「私は私だという自己意識は最初から自明のものか」という、子どもの発達を研究するときにしばしば問われるテーマがあります。

マークテストを行うと、1歳前半の子どもでは、口紅のついた部位を自発的に触る子どもはほとんどいません。しかし、1歳後半になると、教えられなくても自分で口紅を拭う子どもの割合がグンと増え、約6~7割に達します。つまり、1歳後半で多くの子どもが自己認識できるようになるのです。 引用:夢ナビ

「生まれたばかりの赤ん坊は、まだ自己意識は持っていない。」言い方を変えれば・・

生まれたばかりの赤ん坊は、この3次元の物理空間に個体としての自分の存在があることを理解していない(自他の区別を理解する途中の段階である)ということかもしれません。

無の存在から有の存在へ

私は、赤ん坊のころの記憶は無いので、実際のところ、生まれたばかりの頃に「自己意識を持っていたのか?いなかったのか?」は分かりませんが、ただ、、

無(意識)の存在から、有(個体)としての存在として自己意識を育て、自己を確立するためには「自分の名前を呼ばれる(他者から自分に意識を向けられる)」という体験を重ねることの大切さ。そして・・

ヘーゲルの言う【他者の存在が必要不可欠】だということを”イメージ”することはできます。例えば、こんなイメージワークです。

1. 椅子に座り目を閉じます。足の裏を床につけて、手のひらを膝(太もも)の上に置き、可能なかぎり思考を止めます。音が聞こえていたとしても、何も聞こえていないと仮定します。目、耳、その他の感覚が無い状態。つまり、自分の存在が無い状態をイメージします。

2. 無に近い状態になったら、今度は膝の上に乗せている手の平に意識を向けます。すると手には太ももの温かさや柔らかさ(ズボンを履いていれば素材の肌触り)を感じます。足の裏に意識を向ければ床の冷たさを感じます。そして、手をデスクに乗せれば固さやその形状をとらえることができます。

3. 何も聞こえないと仮定していた聴覚が復活してくると、聞こえてくる音の方角や距離感を感じ始めます。少しずつ目を開けると、明るい部屋。自分が元にいた場所に戻っていることを確認することができます。

このイメージワークで分かることは、自分の存在を確認するためには、自分という個体とは別に、デスクや床、音などの対称物の存在と、その存在を知覚する感覚が必要で・・

【自分⇔対称物】の相互関係があり、それを感じることができる”感覚”を育てていくことで、無の存在から有の存在へと成ことができる。

逆に言えば、対称物が無く、感覚が未熟な自分自身の存在(主体)オンリーでは、この世界での自分の立ち位置を確認することができない。。つまり、この世界に存在し続けることできない。ということです。

名前を呼ばれるという体験を通して自他を区別していく

もし仮に、イメージワークで行った”無に近い状態”のときに、口から栄養を与え続けられるだけで、あなたは生きていくことはできますか?

自己の存在が曖昧な状態でも、味覚は感じる。身体的に必要な栄養も与えられる。でも、そんな状態が続いていれば、生きるエネルギーなんて湧いてこないだろうし、「生きたい!」という意思は芽生えてこないだろうと想像します(きっと意思を閉じてしまう)。

そこに必要なのが・・

自分のことを大切だと想ってくれている他者の存在であり、その存在から「自分の名前を呼ばれる」という体験なのだと思います。

なぜなら「他」から名前を呼ばれるという体験を通して、独立した「自」を確認し、自他を区別していくことができるからです。

もちろん、聴覚の障害を持って生まれてくる子もいますが、耳で聞こえなくても・・

視覚や表情、その表現によって”自分の名前”を感じることはできるだろうし、愛情のある視線をいっぱい受け、肌の触れ合うスキンシップを重ねることで自分の輪郭(自と他の境界)を確認しながら、聴覚以外の感覚を育てていくのだと思います。

他者から意識を向けられることで、個体として存在することができる。

量子力学の世界では、「この物資世界を構成している最小単位の素粒子は「波」と「粒子」の性質を持っている」ということが分かってますが・・

その素粒子は、普段人間が意識していないときは「波」の状態で、人間がそれを観測しようと”意識”したときに「粒子」として振る舞い「物質化」するそうです。

「人間のような意識を持った存在が観測した瞬間に収束する」 by 数学者 フォン・ノイマン

私たちは対象物を目で見て、手で触ってその存在を確認することができますが、量子力学的に言えば、私たちが観測した瞬間に、その形を成形する。と表現することができるのかもしれません。

そして、私たち自身のこの身体も、他者の存在があり、その存在から知覚してもらうことでこの世界で”物理的に”存在できているのだと。

もし名前がなかったとしたら?

もし、私たちに固有の名前が無く「おいそこの人間!」と呼ばれ続けていたら・・?きっと「人間」というカテゴライズでしか存在することはできないと思います。

「日本人」と呼ばれていたら日本人。「群馬県人」と呼ばれていたら群馬県人として存在することはできると思いますが、私たちには「固有の名前」があり、その名前を呼んでもらうことで「他者に、他の大多数とは違う自分の存在(個)」を知覚してもらうことができます。

つまり、ヘーゲルの言う、自己を確立するためには【他者の存在の存在が必要不可欠】であり、他者から意識を向けられることで、この世界に存在できるということです。

素粒子の振る舞いに置き換えれば、誰からも意識を向けられなければ波動の存在で、他者(初めは愛情深い親や兄弟など)から意識を向けられることで、「私」でいることができる(個体として成ることができる)と言えるでしょう。

ネーミングとは命を吹き込むこと

もしあなたに子供がいるとしたら、我が子の幸福を願い。未来の可能性を想像しながら「名前」を付けたと思います。子供がいなかったとしても、あなたの親がどんな願いを込めてあなたの名前を付けたのか?想像することができると思います。

「商品」や「ビジネス」「ブログ」や「企画」、「WEBコンテンツ」「講座」「会社名」などは、自分の子供ではないですが、自分がこの世界に生み出した(これから作り出す)創造物です。

自分が生み出したものにたいして思い入れが無ければ、”適当”に「名前」を付けることができてしまうし、意識も向けられなくなる。たぶんそれでは成長していかないでしょう。

たかがネーミング、されどネーミング。

ここでは、ネーミングの重要性について共有するために若干くどい話をしましたが・・伝えたいことは「ネーミング(名づけ)は息吹。つまりそこに命を吹き込むこと」だということです。

そして、この世界に誕生した”ソレ”が成長していくためには、愛着を持って意識を向け続けること。そして、他者からも意識を向け続けてもらえることです。

なぜそれを生み出したのか?そこにどんな展望を描いているのか?あなたの思いや意思、ビジョンなど、そういったものが込められたネーミングによって命が吹き込まれ、その商品に、そのビジネスに、まずは自分自身が意識を向けるようになり、輪郭が形成されます。

なので、ぜひあなた自身が興味を持ち続けられる(愛着が持てる)ようなネーミングを!

そして、他者からも興味を持ってもらえるようなインパクトのあるもの。分かりやすいもの。響きの良いものなど、「これだ!」と”しっくり”くるところまで考え抜くようにしましょう。

もしくは・・

あなたが創造した”ソレ”の未来の可能性を感じ取りながら、一瞬の閃きによって生まれてくるネーミングを大切にしてください。

スリームデザイン

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1978年夏生まれの熱しやすく冷めやすいB型。群馬県在住の累計360万PVブロガー。趣味はデザインとマーケティングと玄米ご飯。 フリーランス時代に独学で身に...

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小笠原広記

1978年夏生まれの熱しやすく冷めやすいB型。群馬県在住の累計360万PVブロガー。趣味はデザインと玄米ご飯。

 

フリーランス時代に独学で身に付けた技術を活かし、世界規模のデザインコンテストで日本人初の大賞を受賞&Photoshopの専門書を出版。

 

ブログ集客のエキスパートとして企業や個人のコンサルティングをしながら、コンテンツマーケティングやコピーライティングを手掛けるブログマーケターである。