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パラダイムシフト

いち時代の集合的意識や思考の劇的な変化。常識や価値観の変革。

常識と価値観

私たちの日常には会社、家庭、学校、サークルなどそれぞれのコミュニティごと、また法律のような大きな枠組みから、道徳や倫理などの精神的指針に至るまでさまざまなルールや規則があり、それを 常識 (社会的パラダイム)と呼ぶひともいるでしょう。

そして目に見えないソレは、あらゆるところに存在し時に息苦しさを覚えさせます。

ルール

とかく私は、会社のルール(規律というより風紀)にいつも窒息するような思いをさせられていたように記憶しています。もちろんルールが無ければ秩序は保たれません、しかるべきルールは必要です、が・・

さて、それらのいわゆる 常識 に対し、物事を決断するための判断基準すなわち 価値観 (意識的パラダイム)は、誰しも自らの主体的な尊い経験や知識から作り上げてきたものという自負がありそこに疑いの余地はありません。

しかし本当にそうでしょうか?

あたかもそこに存在しているかのような世の中の常識が実は自ら作り出した幻想に過ぎず、自由意志だと疑わない価値観こそ世間の刷り込みによって形成されたものだとしたら・・?

そう、思考力とはあたりまえだと認識しているものに疑いを持つことからはじまります。たとえそれが目で確認でき絶対に間違いないと確信しているものに対しても、です。

常識という幻想

鏡はどうして左右逆に映すのでしょうか?そもそも本当に逆に映してしるのでしょうか?あたりまえだと認識しているものに疑いを持ってみると、面白い発見があったりするものです。そしてその発見が意味する事実とは・・

それでは、文章を解釈するという左脳に、感性を司る右脳の働きを加えて明確なイメージを描いてみましょう。それはとても疲れる作業ですが、脳をすこぶる活性化させてくれます。

鏡

まず、左手首に腕時計したあなたの目の前に、同じく左手首に腕時計をして対面している自分をイメージしてください。腕時計をつけたあなた同士が向き合っている状態です、鏡ではないので腕時計をした左腕は対極に位置しているはずです。

次に、あなたと対面しているもうひとりの自分の左腕を真横にピンと伸ばしてください、すると互いの腕時計の位置は遠ざかりますね。

その状態から、対面している自分Bの後ろに大きな鏡を置いてください。すると鏡に映ったBの後ろ姿が見えるはずです。そのCのさらに後ろには左側に腕を伸ばしたDがこちらを向いていますがAのあなたが透明になることでDの姿をすっぱり消しちゃってください。

この時点で、視覚的に見ることができるのはBとCだけです。イメージできていますか?できていなければゆっくり読み直して明確なイメージを作ってください。

透明になったのあなたから見た、腕時計をしたの左腕は双方ともに右の方に見えています。鏡は左右を逆に映していませんね、逆に映しているのは前後だけということがわかります。

そこからBは左腕を横に伸ばしたまま身体をクルッと回転して後ろを向き、Aのあなたと同じ体勢になります。(視点はAの位置を保っていてください。)その時Cはこちらを向き、腕時計の位置はBC共に左側になりました。

このときBの視点では鏡が左右逆に映していると錯覚します。

しかしAのあなたの視点からはBとCの左腕は両方ともちゃんと左側に位置しており、鏡は逆ではなくそのままを映していることを知ります。むしろ左右を逆にしたのは鏡ではなく、自ら回転して反対を向いただという事実だけが残ります。

このBの状態こそが、普段私たちが何気なく鏡に向き合っている状況です。

日常Bの視点しかない私たちは、自分の視覚的認識が常に正しいと思い込んでしまう傾向にあります、その状態では物事を正確に捉えることができません。

Aの客観的視点を持つことで、鏡は逆に映すという常識が、実は自分達の都合のよい認識によって作り上げられた幻想なのだということを気づかせてくれるのです。

思考するということはエネルギーを消費します、考えないほうが楽チンですがそれではなかなか思考力を鍛えることができません。鏡は左右を逆に映しているわけではなく前後を逆転しているだけです。それではなぜ鏡は前後を逆転させるのでしょうか?また手鏡を上下逆転させても自分の顔が逆転しないのはなぜでしょうか?あなたなりの答えが見つかったらぜひ教えてください。わたしも面白い発想がでてきたらその思考をシェアしたいと思います。

刷り込みの価値観

世の中の常識は自分の思い込みで作り上げてしまっていることが多いようですが、私たちの物事を決定するための判断基準、いわゆる 価値観 は本当に主体的なものなのでしょうか?もしかしたら知らずのうちに刷り込まれてきたものかもしれません。

そういったことを意識しながら、一緒に先ほどの3分テストを振り返ってみましょう!

test2

↑の私のテストとあなたのテストを見比べてみてどうですか?全く一緒ではないですか?

一般常識を持っている方であれば「いや、全然違う」「3問目の2しか合ってない」と反論すると思います、ただ私が一緒だと言っているのは回答した場所にあります。

このテストにおけるルールは 3分思ったこと書く の3つです。学校教育で習ってきた、テストは時間以内に決まった場所に回答するというルールとはまったく別ものです。私は当時2分もかからず回答欄を埋めました、あなたはどうでしたか?

もしルールを忠実に守るとすれば、3分以内ではなく3分きっちり計って回答する必要があったかもしれません、また3分で思ったことであれば紙を裏返して《なにこのふざけたテスト》と書いても正解だったわけです。

今回、あなたはプリントアウトまでして回答したわけではないでしょう、きっとイメージもしくはメモ書き程度を残してくれたのだと思いますが、実際に頭の中でイメージした回答場所はどうでしたか?また、私と同じように3分以内で回答してしまいませんでしたか?

テスト

私は、テストというワードのひとつで義務教育からの強烈な刷り込みが作用し無意識のうちにそこに存在してもいないルールを自ら作り出してしまっていたようです。

そして、自由意志だと錯覚している回答が実は世間の刷り込みによる反応でしかないということを認識することで、初めて本当の自由意志による物事の判断ができるようになるというパラドックスを経験します。

複雑かつ高速にうごめく社会では、その変革にともなって個々の価値観も変革を余儀なくされます、対応できなければ置いていかれるでしょう。

私たちは劇的な世の中の変化に合わせて、その都度パラダイムを変化させていくべきでしょうか?それとも今、幻想や刷り込の常識を脱ぎ捨て、それぞれが純粋なる価値観を見つめ直し、そのパラダイムを世の中に反映させていくべきでしょうか?

本当の意味での パラダイムシフト と呼べるのは後者のほうだと私は思います。

残り15分

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小笠原広記

1978年夏生まれの熱しやすく冷めやすいB型。群馬県在住の累計360万PVブロガー。趣味はデザインと玄米ご飯。

 

フリーランス時代に独学で身に付けた技術を活かし、世界規模のデザインコンテストで日本人初の大賞を受賞&Photoshopの専門書を出版。

 

ブログ集客のエキスパートとして企業や個人のコンサルティングをしながら、コンテンツマーケティングやコピーライティングを手掛けるブログマーケターである。