純粋なる価値観
ここでは文章を解釈するという左脳の働きを少し休めて、右脳の働きといわれるイマジネーションを広げていきましょう。
野球の硬式ボール
あなたはプロ野球で使用されている硬式ボールを握ったことはありますか?
硬式ボールの中心はピンポン玉よりひとまわり小さい直径34mmのコルク、またはゴムでできています、そこに毛糸をガチガチに何重にも巻きつけて、アイマスクのような形をした二枚の皮で表面を覆い、縫い合わせてできています。
そのボールを手に取るとしっかりとした重みがあります、そして手によくなじみます。しかし今あなたが想像しているよりも表面がスベスベしているでしょう。それはとても堅く「これでデッドボールを受けたら悶絶どころではないなっ、、」と思うほどです。
重く、堅く、滑りやすいボールを剛速球でコントロールすることは容易ではありません。
そのため表面には厚みのある縫い目があり、その縫い目に指を引っ掛けることでピッチャーや野手達は上手にコントロールしています。ちゃんと指が引っ掛からないととんでもないほうへ飛んで行ってしまいます、それがいわゆる「すっぽ抜け」ってやつです。
話しはそれますが、日本では年の変わり目に 除夜の鐘 というものがあります。私は信仰というもの持っているわけではありませんが、やはり年の暮れ、108つの鐘の音を聴くたびにどこか凛とした気持ちになります。
煩悩 : 煩(わずわらしさ)や悩(なやみ)など心を乱すものの総称と捉えられ、仏教では《貧(貧欲にもとめる)・瞋(自分の心への執着)・痴(無知で愚かな考えへの囚われ)》の三毒に帰結するそうです。そういった私欲や執着に囚われてしまった108つの煩悩をひとつひとつ払い落すために大晦日、除夜の鐘がシンと鳴り響くわけですね。
実は、硬式ボールには除夜の鐘と同じ108つの縫い目があります、もちろん除夜の鐘でいうところの煩悩の数とは全く関係はなく、野球というスポーツの進化の過程で《糸が切れにくく、皮が破れにくい》最も適した数として規定されているものです。
ところが、どうもこの硬式ボールの構造が私たちが持っている価値観の構造と類似していることに気づかされるのです。
たった34mmの核
私たちは本来ひとりひとり違った純粋なる価値観(個性)を持って生まれてきたはずです。
家庭や学校、会社、人付き合いなど世の中を生きていく過程、個性に不毛なものばかりグルグルぐるぐると巻きつけ、世間のサイズに合わせるかのように肥大させ、常識と固定観念という2枚の皮で隙間なく覆い、私利私欲、煩悩の糸でがっちりと結び合わせて・・そして見事に完成した偽りの価値観。。
はぁ、、もうため息しか出ません、、
そうなるともう、たとえバリーボンズ(メジャー屈指のスラッガー)がバットで打ち抜いてもそのボールは決して破けることはありません。
ぶったたいてもダメなら、結び目をほどいていくしかありません。108つの結び目ひとつひとつと向き合い、ほどいていくその作業は決して簡単なことではありません。
しかし、ほどいた時には案外簡単に常識と固定観念が剥がれ落ちることに気がつくでしょう、そしてグルグルのその先にはちゃんと個性という名の核が顔を出してくれるはずです。
たった直径34mmのあなたの核はどのようなものですか?
- 水晶のように一滴の濁りのない透明なもの?
- 眩い7色の光を解き放っているもの?
- 淡くゆるやかな色彩をまとっているもの?
- ブラックホールよりも深く澄み静寂に包まれたもの?
- 太陽のように燃えたぎりエネルギーに満ちたもの?
この世界に2つとして同じもののない 純粋なる価値観 は例外なくそれぞれに美しく、個性を映し出しています。
ジブンメガネ
3年前までの私はあらゆるものに囚われていたようです。3分テストを目の前にして思ったことは面接に受かるために出題者の求めている回答を探ろうとしました。それでは自分の目で見てるとは言えませんよね。
そのことが何を意味するか?そうです、私は個性を表現することを放棄し、相手が求める既定サイズに収まることばかり考えていたのです。
私たちは社会生活を送るうえで、大なり小なりさまざまな問題や試練、シチュエーションに出会い選択と決断を迫られます。生きるとはそもそも決断の連続なのかもしれません、私はそういった決断を迫られる状況に遭遇した際、個性の目(ジブンメガネ)で判断することの責任を逃れてきたのだと思います。
ものごとの判断基準が上司の目であり、会社の目であり、世間の目、そういったものに依存してきた結果を3分テストの回答や身の周りの環境が的確に映し出していたことに気づかされるのです。
ルールを破ると罰則があります、それが法律であれば牢獄行きかもしれませんし、会社であれば解雇されるかもしれません、家庭であれば勘当といったところでしょう。なのでルールはちゃんと守りましょう!
とはいってもたいがいルールは刷り込みや思い込みによって自ら作り出した幻想、ってことはすでに承知の通りです。
もし、人間が自分の価値判断によってそれぞれ自由に動き回ったとすれば、そこは秩序の存在しない無法地帯と化すだろうと問う方もいるでしょう。もちろんその可能性は否定できません、しかし多くの犯罪心理の背景には抑圧された個性が泣き叫んでいます。他との差を埋めようとする心理に私欲が生まれ個人間から国家間まで規模は問わず争いがはじまるのではないでしょうか?
ジブンメガネを手にしたなら、常識という幻想や刷り込みの価値観に惑わされることが徐々になくなっていきます。
固定観念に囚われず、もっともっと広い視野で世界を眺めてみましょう!ジブンメガネで見ると世界は全く違って見えてきます!