ポスト資本主義
あきらかに丸なのにそれを三角だと言い張るひとがいたらあなたはどう思いますか?
ジブンメガネで見ることと、他人の意見に耳を貸さないことは同意語ではありません。たったひとつの視点しか持たない者同士の主張はイデオロギーの対立を生むだけで、そこに創造性はありません。はたから見るとそれはとても切ない光景です。
相手の主張に耳を傾けて理解してみようと努めると、お互いの立ち位置や距離感が掴めてきます。そして見ているものの実態が浮かび上がり、いかに自分が狭い視野しか持ち合わせていなかったことに気づかされます。
あなたから見て丸であり、彼から見ると三角な状況ってどういうこと?
詳しくは:あ、そーゆーことねっ!物事の本質を見極めるための俯瞰的視点と相互理解。
現代社会を賢く生き抜くためには角度・距離・時間軸の違う視点で、物事や状況を捉える力が必要があります。不況下が続く現代、時代の行く末を問う彼らの主張に少し耳を貸してみてもいいのかもしれません。
経済70年周期
人は誕生してから、成長し成熟しやがて衰退して人生を終えます。同様にマーケティング用語に製品ライフサイクルというものがあります。
それは新しい製品が市場に登場してから退場するまでの経緯を 1.導入期 2.成長期 3.成熟期 4.衰退期の基本原則を戦略として用いてるものです。
ブームがきているからといってその市場に参入するのは、すでに成熟期から衰退期を向かる時期にあえて飛び込むことを意味し無謀だと推測できます。
人生、製品サイクル、そして経済もまた同様に周期があることを切に認識しなければいけない時期にあります。というのも現在から2015年にかけては、経済70年周期における第3の大きな転換期にあります。
2015年から70年を引けば終戦の1945年です、焼け野原と化した日本が・復興期・高度経済成長期・バブル期・衰退期のプロセスをたどって現在に至ります。そして終戦のさらに約70年前には現在の資本主義の礎となった明治維新終結の時代にあたります。
そして現在の日本は、投下された貨幣がより大きな貨幣となって回収される資本主義が深く根を下ろしています。マルクスは「生産手段を持つ資本家が、生産手段を持たない賃金労働者を使用して利潤を追求する社会システム」と言明しています。
労働者は資本家に搾取され続け、資本のあるところに資本は集まる社会。
戦後急速に工業社会が発展した背景には道路やダム、下水道、発電所といったインフラ設備事業の需要と供給があり、情報社会の発展を支えてきたものは、高速通信が可能なブロードバンド環境などの通信インフラに帰するものだということは周知のとおりですが・・
需要と供給が前提の資本主義経済は、経済成長の余地が無くなったときに破綻します。
日本の財政破綻
IMFいわゆる国際通貨基金は日本の国債残高が2015年に国民貯蓄を上回ることを試算しています。簡単に言えば国の借金が貯蓄を超えるということです。国の信用が落ち国債売りが加速すればいよいよ財政破綻が現実味を帯びます。
もしくは破綻寸前だから消費税増税も仕方ないと、誘因させるためのプロパガンダなのかもしれませんが・・
実態はともかく、日本が危機的状況にあることはさすがの私でもうすうす感づいています。
備えあれば憂いなし、盲目的に国を信じていては最悪の事態に対処することはできません。万が一日本が財政破綻してしまうとどのようなことが起こりえるでしょうか?
- ハイパーインフレ
- 極度の円安
- 国債の暴落
- 失業者の増大
- 治安悪化
その他もろもろ、想像の域を超えた現象が待ち構えています。ここではハイパーインフレについてだけ少し触れますが、そもそもインフレが怖いのは物価が上がることより、国の信用から成り立っているお金の実質価値が落ちてしまうところにあります。
かつてのジンバブエのように両手で抱えきれないほどの札束でパンひとつを買うようなハイパーインフレ(インフレ率89700000000000000000000%)を心配するのは過剰ですが。
世間ではリスクをなるべくとらないように株やFX、先物取引などに手を出すことをせず、毎月決まった額を預金に回す堅実な方も多くいます。しかし預金は円買という選択、いわゆる円投資であることだと認識しているひとは案外少ないようです。
円投資を続け、子供を大学まで通わせるための600万円の貯蓄が10年後にできたとしても、インフレによってその時の実質価値が300万円になってしまっては予定通りの教育を受けさせることはできません。
デフレにおける預金は堅実なひとつの選択なのかもしれません、しかしインフレに転じてれば状況は一変します。
預金へのリスクヘッジを考えるのであれば円投資以外の現物資産(金投資)や外貨預金や株式投資などの選択肢も勉強しなくてはなりません。わからないからといって首相まかせで、身を粉にして貯金したものを紙くずにさせることはできませんので。
そして、最大のリスクヘッジは自分への投資以外にありません、世の中の経済状況がどう転んだとしても、マーケットに価値を生み出す力さえ持っていればお金に踊らされることはなくなります。
変化を恐れて波に呑まれるのではなく、変化を感じ波に乗る勇気を持つべき!
知識社会の本格的な移行
大きなカーブを描きながら成長期と衰退期を繰り返す経済70年周期の転換期に、決して傍観者ではいられない現実がつぎつぎと目の前に突きつけられています。
それらの問題がいつどのようにどれほどの規模で起こるのか、それは誰にもわかりません。
ピータードラッカーは約20年前の1993年にすでに、2020年頃から資本主義が知識社会へ移行していくことを予見していました。
知識社会とは収集・整理された情報から生まれた新しいアイデアを行動に移すことが付加価値となる社会です。
交通、通信共にインフラ設備の整い、情報そのものに価値を置く情報社会はすでに陰りが見えはじめています。
工業時代の労働力を機械か担っていったように、情報社会の収集・整理はソフトウェアが担っていきます。誰でもできる業務は人の手から離れていき、これからの社会に求められるものは人間にしか見出すことのできないイノベーションに他なりません。
知識社会、そういった新しい価値感がグローバルスタンダードとして定着するまでには多少時間がかかります、2020年頃からというドラッカーの読みは変革期から定着まで数年の含みを持たせた分析なのかもしれません。
それは想像と創造が求められるクリエイティブな新しい社会。
明治維新からまるで巨大ロボのように地上に腰を下ろした資本主義がいよいよ崩壊していくとき、武士の象徴であるちょんまげを切り落とすほどの、戦争の英雄が一変して戦犯になるほどの価値観がひっくり返ります。
その時、私たちは想像絶するほどの痛みを分け合うことになります。しかしひとつの崩壊は終わりではなく始まりであることも知っています。
国という大きな枠組みのなかで命を捧げた時代から、一生涯を企業へ捧げる枠組みへとシフトし、終身雇用の崩壊と共にそれらの枠組みはどんどんと解体されていきます。
事実、かつて30年だった企業の寿命は現在7年ともいわれています。今や私たちを守ってくれるものは国でもなければ企業でもありません、裸ひとつで世間に投げ出される時代。
個々人の責任と自由からなる新時代
資本主義から知識社会へ移行した際、私たちはどのようにすれば生きていけるのか、角度や距離、時間軸を変えてみる力、俯瞰で物事を捉え、そして自分の目で判断し、決断していく力を高めなければいけません。
しかしそれは資本家が主役だった時代から、労働者が主役となる新しい時代の幕開け、自分の目を持ち自分で決断していく時代、すなわち現代におけるインディペンデントです。
2013.2014年はそういった準備の年にあたるのかもしれません。